リーダー不在の日本

哀しいことに、このところ、誰が悪いとか、誰の責任だとか、不毛な議論が続いている。
ニュースを見ても、ネットで情報を検索しても、悪者探しばかりで、たまらない気分だ。


地震津波で人が亡くなっても、悲しい話で済む。どんなに辛くても、協力して頑張ろうという気持ちが沸いてくる。
これが人災となると、人は悪者探しを始める。怒りや憎しみで周りが見えなくなる。
誰かを悪者にすれば、事態は改善するのだろうか。


<責任>は<権力>の裏返しであると思う。
東電が一代で築いたワンマン社長の会社であれば、責任は社長一人にあるかもしれない。
管総理が日本に何十も原発を建てた張本人であれば、責任は首相一人にあるかもしれない。
しかし現実は、どちらも、その時偶然トップに立っていた人間に過ぎない。
原発は、今まで長いことかけて、たくさんの人の手で建設され、その電力を多くの国民が甘受してきた。
どれほど管理の甘いものか知らされないままに。
しかし、<知らされないまま>だったのは、政府関係者ですら同じなのである。


日本はもともと強いリーダーシップの発揮しにくい国である。


日本の多くの会社は、ボトムアップの社風を持っている。
ある取引を決めるのは、現場だったり、総務だったり、部長だったり、担当者だったり、キーマンが誰やらもやもやしている。
外資系が日本に乗り込んでくる時、当惑させられていたのがその点だった。
戦争の時もそうだ。
カリスマが一人出てきて日本を戦争に導いたのではない。
反対する人もいたが、なんとなく空気が染まり、じわじわっと日本全体が動いているのである。


広範囲にわたる震災の傷跡も、日本は民力で再生可能だと思う。
税金をアップしなくても、実は、復興国債やボランティアや義援金を活用すれば、かなりのことができるのじゃないかと思っている。
日本のボトムアップ力は相当な底力を持っている。
ただ、原発については微妙だ。
強いリーダーシップがないということは、迅速な決断ができないということだ。
今の体勢では、判断に必要な情報はリーダーの元に届かない。
リーダーが指示しても、ああだこうだと批判が飛んでくるばかりだ。
まるで体のいいスケープゴートだ。
しかし、リーダーをすげ替えても、この体質が変わらない限り、事態は変わらないだろう。
今まで政権が交替しても、原発推進路線は変わらなかったではないか。
トップが替わったとたんに、必要な情報が迅速に集まるようになるとは思えない。


ぐだぐだと物事が煮え切らないまま進むリスクと、権力を持った強いリーダーが出てきて、間違った判断をするリスクをとるのとどちらが良いか。
なんにしてもリスクは残る。
日本はどの道を選ぶのか。
このところかたずを飲んで見守っている。