怖かった夢

子供のころ、怖かった夢を今でも覚えている。


人それぞれ、怖いものは違うだろう。
私の怖い夢には、どういうわけか、目に見えない微小なものがよく現れる。
悪者に追いかけられる夢よりも、髪が抜けたり、歯が抜けたり、鼻血が止まらなくなったりという夢のほうがずっと怖かった。


その中で、極めつけに怖かったのが、原子爆弾の夢だった。
三度、どれも違った形でそれは現れた。


原爆が落ちたはずなのに、不思議なことに町はどこも崩れ落ちていなかった。
ただ目に見えない放射線が辺りに満ちていて、私はその町を走って逃げていた。
辺りは、人気がなく、白っぽかった。
どこか隠れるところはないかと私は辺りに目を走らせていた。
洗濯機の中にもぐりこんだら、放射線を避けられるかもしれないなどと、夢ながら奇妙なことを考えたのを覚えている。


一度は目に見える形で現れた。
放射性物質が、校舎の中に、黒い霧として忍び込んできた。


3つ目の夢は、たちの悪いSFみたいだった。
占い師が、もうすぐ地球は滅び、6人しか生き延びないだろうと予言したのだ。
やがて、原爆が誤射されたという報道が流れた。
友人がロケットを持っていて、地球から脱出しようと言ってくれた。
その場に集まった人間は、私を入れてちょうど6人だった。
ここに乗り込んだら、私たちを残して、地球は本当に全滅してしまうのではないかと、ぞっとした。
予言が成就する恐ろしさに、乗るのをやめようかとさえ思った。
だが、予言が当たるのならば、私が乗ろうが乗るまいが、結局生き残るのは6人になるのかもしれない。
そう思い、ロケットに乗ることに決めた。


それにしても、生きているうちに、本当に放射能の脅威を感じなければならない羽目になるとは、思ってもみなかった。
海外の戦争や飢餓などの報道を見るたび、平和で安全な国に生まれたことに感謝していた。
震災はいつか来るかもしれないと思っていたが、いくつもの町が津波で消滅し、土壌や海洋まで放射能で汚染される日がくるとは、夢にも思わなかった。


夢を見ているようだ。
家や家族をなくしてしまった人も、今のところ安全な遠隔地でテレビを見ている人も、同じ気持ちなのではないだろうか。
ふと目を覚ましたら、元通りの、平穏で退屈な生活が待っているのではないか。
脳というのは、想像を超える出来事が起きると、突然現実感をなくしてしまうようだ。
戦争へ突入していった時代も、ひょっとしたらそうだったのかもしれない。
そうでなければ、とても人は生きていけないだろうから。


悲惨な出来事など嘘のように、美しい桜が咲いている。
来年もきっと咲くだろう。
私たちが道をしくじらない限り。
来年は、どんな気持ちで桜を見上げていることだろうか。