羊と鋼の森
「羊と鋼の森」を読んでいる。
とてもよい。ゆっくり音読したくなるような静謐さがある。
私も、さほど上手ではないものの、ピアノを弾くので、共感できる部分が少なくない。
以前、ピアノの調律をしてもらった時、音がくぐもってしまったことがある。
直してもらったのだが、それでも音が固くて、気に入らなかった。
私は、それまで出ていたキラキラした音が好きだった。
なんとかして前のような音を出したくて、がんがん鍵盤を叩いているうちに、指を痛めてしまった。
それからだんだん弦がゆるんで音が崩れてくると、少しは音が聞きやすくなってきた。
それから長らく調律はしなかった。
引越した後、目に見えて音がずれてきて、素人の耳にも耐え難くなってきた。
狂ったピアノで弾いていたせいで、耳のほうもずれてきたらしく、半音近く音感が狂ってきた。
私はとうとう調律師を探して電話をかけた。
新しくやってきた調律師さんは、ピアノをざっと触ってみて、
「ダイナミックにずれてますねぇ」
と笑っていた。
私はその前の調律のことを話した。
「ああ、分かります」
調律師さんはうなずいて、ひとつひとつ、音を直していってくれた。
調律を終えると、ピッチの狂っていたピアノから、澄んだきれいな音が出るようになった。
前と同じような、澄んだきらきらした音だ。
以来、同じ調律師の方に毎年調律してもらっている。
いい音を出すには、ピアノだけではなく、弾き手のほうももちろん重要である。
といって、ピアノの腕は急に上達したりはしないし、弾かない日が多いので、むしろ腕が落ちていく部分のほうが多い。
素晴らしい音楽を聞いた後、たとえばコンサートに行った後などは、良い音が出ることがある。
しかし、そうそう何度もコンサートに行っている余裕はない。
数年前、ピアノが上達しない上に指を痛めたりするのに業を煮やして、とある本を買ってみた。
「ピアノスタイル ピアノがうまくなる理由 ヘタな理由 (CD付き)」という本だ。
とても重要なことを学んだ。
どうやら、いきなりピアノを弾くとダメらしい。
ピアノを弾く前に、体操をするのがいいようなのである。
手を回し、肩を回し、前屈し、と身体を動かした後で弾くと、びっくりするくらい音が変わる。
いい音を出すのに、準備体操が必要だったなんて。
ピアノは指先ではなく全身で弾くのだ、人間の身体はどこもつながって一続きなのだ、と、思い知らされる。
ところで、執筆のほうはどうなのだろう。
ひょっとして、身体を動かすと、良いアイディアが降ってきたりして?
いま私は、どんな「準備体操」をしたら、よい文が書けるようになるのか、素敵な物語が書けるのか、模索中である。