最近の若者



「最近の若者は……」というのは、大昔から繰り返されてきたお決まりの文句だ。
大学に入って早くも「最近の高校生は……」と語る同期生に驚いたが、会社に入れば「最近の学生は……」「最近の新入社員は……」という言葉を聞かされるのはしょっちゅうである。
人はそれぞれなのだから十羽一絡げにくくるのも芸がないのだが、まあ、世代というのは、時代の空気が反映されるものなのだろうなと思う。
遺伝子を除いては、環境が人間を作るのだから、当然である。


さて、私が最近の若者を見ていて思うのは、非常に素直な人間が多いということだ。
場の空気を読みつつ周りに合わせることができる。
おそらく素直になったのは、ゆとり教育で優しく育てられてきたからで、昔のような体育会系の教師にしごかれ、理不尽な要求を突き付けられ、反論しようものなら生意気だと頭を殴られれば反発もしようが、教師や親の物分かりがよければ、反発する理由すらないというわけだ。
また、やみくもに努力するよりは、周囲の先輩から既存のやり方を教わり、マニュアルやテンプレートを手に入れて仕事するのが得意なように見える。
情報化時代に育ったためにそうなったのだろう。
テンプレートがないと弱いが、要領がよく賢いともとれる。


バブル世代の面々には、それを歯がゆく思う人々もいるようだが、優しくて賢い若者が育つのは良いことじゃないかと思っていた。
最近までは。


最近少しだけ心配なのは、彼らの素直さが、空気を読んで従う気風が、「右へ倣え」に流れるのではないかと感じることが出てきたからだ。


年金がなくなると言われれば、不満ながらも「仕方ない」と諦め、消費税が上がりますと言われれば「しょうがないね……」と、秘密保護法が可決されれば「ま、政治のことはよく分からないし専門家に任せりゃいいんじゃない」と。
ブラック企業で精神を病んで辞めさせられても「自分が悪いんだろうな」。
ともかくあらゆる場面で素直で、言ってしまえば権力側から見て「扱いやすい」。
実はこれは若者に限らず私と同じ世代にも見られる光景なのだが、全共闘とかでやたらと熱かった親の世代に比べると諦めが早い。
いや、全共闘時代がよかったと言っているわけではない。
共産主義とやらがおぞましい独裁に成り下がっている光景を目にしているから、おまけに中道やや左寄りの政治家がくそまじめに財政引き締めなんぞをすると経済が鈍化してゆくのを見てしまうから、反動で右に流れる、それが自然であることは確かだ。
しかし、である。


彼らはいずれ、戦地に赴けと言われても、「ま、仕方ないか」となるのだろうか。
命を張ってこいと言われても、憎んでもいない敵を殺せと言われても。
いや、それ以前に、周りの言葉に流されて、見ず知らずの相手を憎まされ、自分は自らの意思でそのように行動しているのだと思い込まされてしまうのかもしれない。


最近の若者というのは、つまるところ未来の日本の羅針盤


右も左もいきつく先は個をないがしろにする全体主義だ。
戦前の若者たちが大きく右に振れて日本が暴走した後、戦後の若者たちは左に振れてテロを起こす者も現れた。
地球中がグローバリズムという激震に揺れ動いている中で、次なる揺れがどのあたりで安定してくれるのかと、私は息を詰めて見守っているのである。