震災 小説書きにできること

これはいったい悪夢なのか、
まるでSFの中にでもさまよいこんでしまったかのような
不可思議な毎日が続いている。
 
「あの日」は、長い道のりを、歩いて家まで帰った。
船に乗っているような揺れに何度も襲われ、
炎上した建物を、なんとなく物見気分で眺め、写真を撮ったりし、
エレベータが止まってしまったため、長い階段をぐるぐる回りながら降りた。
 
グーグルの地図を手に外へ出ると、
電車の止まった町には、車があふれかえり、
その脇を、ただ黙々と歩く人、人、人、が目に入る。
 
そのさまは、あまりにもシュールで、
この世のものとは思えなかった。
 
テレビに映し出される何ひとつなくなってしまった瓦礫の平原は、
まるで映画のセットのようで、
体育館に集まった人々も、
どこか呆然として、夢の中に放り込まれたよう
 
だがこれは、現実なのだ。
 
「危険」とテープの貼られたエスカレータの脇を降りて、
薄暗い地下鉄の駅へ歩いていくと、
構内も心なしかいつもよりひっそりとして、
見捨てられた未来都市にさまよいこんでしまった気分になる。
 
コンビニエンスストア
がらんと空いた棚、
いつも鬱陶しいほどに垂れ下がっていた電車の吊り広告も、
今では虫食い状態だ。
 
止まった噴水の水は、
落ち葉や埃を浮かべたまま
じっとよどんでいる。
 
こうしている今も、放射性プルームが空を覆い、
戦士たちが最悪の終末を避けるべく、奮闘を続けている。
 
被災地、という言葉に違和感を覚えてならない。
この国の全員が、
あるいは、この地球上の全員が、
今回の地震の被災者なのだ。
 
小さな島国で起きた
大きなプレートのきしみで
地震波は地球を3べんも周り、
空高く死の灰を舞い上げた。
 
おそらくこれから先何年も
私たちは、不安と隣合わせにして
生きていかなければならない。
 
今までのルールは崩れ去り、
新しいゲームが始まり、
どんなルールなのかも分からぬまま、
私たちは試合を続けている。
 
あの日からこっち、
しばらく本を手に取る気にもならなかった。
物語をつづる気も起きなかった。
現実が物語を越えてしまった今、
たかだか絵空事に小説に
何ができるのだろうか。
 
2週間過ぎて、ようやく本屋で文庫を買い求めた。
それは平常時と同じく
私の心に飛び込んできた。

こういう時であっても、
こういう時だからこそ、
絵空事の物語が、必要なのではないか、
そんな風にも思い始めた矢先、
私の元に本が届けられた。
 
私自身の本だった。
ここ2年がかりで取り組んでいた話が、
ようやく形になったのだ。

小さな小さな一歩だが、
私にとっては希望だった。
 
明日も見えない時代に、
数え切れないほどの涙が流された後に、
こんなささやかな話が
誰かの希望になる、ということがあるだろうか?

願わくば、そうあってほしい。
たった一人でも、二人でも、
何かを感じとってくれる人がいたならば。
私はそのために生きている。
 
「こころ 不思議な転校生」
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